SUNRISE

雨の中、傘を差さずに踊る人間がいてもいい。

diary_05; 進級したので

つい先日、高校二年生になった。
最近はいろいろと思うこと/感じることも多く、また、この節目に、一年間を振り返ってみる、そんなのもまあまあ面白いかなぁ、と思い、しとしと春雨の降る深夜、僕は今キーボードを叩こうとしている。

一年間を振り返って

一年間を振り返ってみて、まず頭に浮かぶ言葉、それは"時間の無駄"だ。
高校入学前からきめていたことだが、僕は部活には入らなかった。
理由としては、("時間の無駄"というワードから想像はつくと思うが)自分のしたいことにできるだけ時間を使いたかったから。
だが、その計画の暫定的な評価をするならば、これは間違いなく大コケだったといえる。
特に4~10月までの約半年間が酷かった。 毎日家に帰ってきてからは下らないネットサーフィンばかりしていた。
11月からはというと、これはまぁまぁマシだったかもしれない。
だがそれも、僕にしては、という意味であって、絶対的な基準で捉えたならば、前半と五十歩百歩というところが僕なりの客観的な評価だ。

僕が小学校だった頃、高校生になった自分なんて全く想像がつかなかった。
大学生の自分、ともなるとなおさらで、それまでに自分は死ぬんじゃないかなどとも思い、当時の僕にとってはそっちの方がよっぽどリアルだったように思う。
しかし! 高校二年生、ということは大学生まで、最短で(小声)残り約2年ほどしか無いということ。
“少年老いやすく、学成り難し"とはいうが、その重さにノックアウトされている。

僕は、密かに東大への進学を計画している。 3年生から受験勉強を本格的に開始するとすれば、僕が自由に使える勉強の時間はもうあまり無い。

そうゆうことを考えると、とても鬱な気分になる。

失ったものはもう帰ってこない。
損失をこれ以上拡大させないためには、今からはやるしかない。
というワケで…

達成したいことリスト

英語編
  1. 6月までに、Duo、英検準一級パス単、Instant Word Powerの2週目を終わらせる。
  2. 7月までに、英検一級パス単を2周する。
  3. 単語系が終わったら、リーディング・リスニング対策も開始し、この2つは試験まで続ける。
    また、これと並行してVerbal Advantageも進めていく。 こちらも夏休み中に終わらせたい。
  4. 夏休み後は、リーディング対策として洋書を読むようにしたい。 余裕があれば、"1100 Words You Need to Know" もボキャブラリーの補強として行う。
  5. 10/8 の1次試験(一級)を受けて、合格しておきたい。
    2次試験のスピーキングは、調べた限り一筋縄ではいかない。 1次試験後から、2月の第三回での合格を目標とし、コツコツ続けていく。
  6. 合格できてもできなくても、3年生からは英検対策は終了し、(かなりの英語力は付いているはずなので…)数学・プログラミングの洋書を読んでいけたらいいな。
数学・論理学編
  1. 素数夜曲"の数学パートを、夏休みまでにじっくりと読み込む。
    並行して、"論理トレーニング"も進めていき、これは7月までにやり尽くしたい。
  2. 7月中に、"入門! 論理学"を読む。
  3. 夏休みからは、"論理学入門"を読む。
    だが、数学やプログラミングの勉強ばかりをやって、英語学習の進行が遅れるのだけは避けたい。 あくまで、英語が優先で。
  4. 学校での授業、夏休み中に高校数学を先取りしておいてあるのが理想的。(うちの学校はまぁまぁ進度が速いので、まぁこれはそんなに苦じゃないはず…かな??)
    夏休み後から年内に、高校数学全範囲の基礎固め、つまりFocus Goldの全問題を確実に解けるようにしておく。
  5. 数学の基礎固めと並行して、"論理学をつくる"を読みたい。 これはあまり焦らず、のんびり楽しんで読んでいきたい。
  6. 新年からは、"1対1対応の演習"を始め、これは3年生になるまでにしっかり取り組んで解けない問題を無くし、完成させたい。
  7. 三年生になったら、東大に向けての勉強を開始する。
    ここからは、受験に向けての勉強時間を増やさないといけないだろうから、多分数学などだけに時間は割けない。 余裕があれば、数学の洋書を読んでみたいけど…
プログラミング編
  1. 夏休みから、"素数夜曲"のLispパートを進めていく。並行して、今は止まってしまっている"Practical C Programming"でのCの勉強を進めていく。
    この2つは、他の勉強に支障が出ないよう、焦らずに行う。
  2. 素数夜曲"でのLisp勉強が終わったら、(繋がるらしいので)SICPを読んでいきたい。(震え声)
  3. “Practical C Programming"が終わったら、"ポインタ完全制覇"を読んで、C言語の仕様への理解を深めたい。
  4. この後は、アルゴリズムとかハード周りのこととかを勉強しようと思っているが、他の勉強が本当に上手く行くか全然わからないので、詳しいことは未定とする。

いやぁ、自分で書いておいてなんだが、過密すぎて笑ってしまう。
これが出来たら本当にすごいと思う。
“頭を使えば時間はいくらでも捻出できる"ということを身をもって証明するという、そういうチャレンジといえるかもしれない。

達成できたら、これは文字通り"圧倒的成長"だと思う。

頑張ってみよう!!!(白目)

"DARKER THAN BLACK"を観て大泣きした

銀は、幼い頃お父さんを失くしショックを受けていた時に、自分を守ろうとしたお母さんまでも失ってしまった…
そしてドールとなっても、その悲しい記憶は残っている。
けれど、どうしてもその記憶には感情が伴わない。
あれほど悲しかったはずなのに…
どれだけ悲しい記憶だったとしても、それは大好きだったお母さんとお父さんがたしかにそこで生きていたことの証。 自分が生きた証。

悲しい…悲しくないのが。覚えてる…皆覚えてる。私があの時飛びださなければママは死ななかった。
あれから消えた銀の光。

そんな銀は、心が動くかもしれないと思い先生とともに逃げ出す。
廃校の中で、銀のピアノが響く。

乙女 白き夜 湖水に臨み 一人淡き帳に沈む
寄り添うは ただ虚ろに凍てた銀色の月

そして、銀たちを追うイツァークとベルタ。
ベルタもまた、(契約者でありながら)罪の意識に囚われていた。
幼い愛娘を不注意で失っていた。
代償で口に入れるものはなんでもいいのに、ベルタは我が子の死因となったタバコを食べ、能力を使うたびに酷く苦しむ。
それは娘への許しの請いであり、彼女にとっての贖罪。
そんなベルタに、イツァークは言う。

月の失われた今は、永遠の贖罪の期間というわけか。

二人は銀たちに追いつくも、ベルタは黒に、イツァークは黄に倒されてしまう。

すると、イツァークに捉えられていた観測霊たちが、ニセモノの夜空へと昇っていく…

その光を感じ、腕を広げる銀。

失われた幼い日々の思い出が駆け巡る。

お父さんを失った夜。 自分を助けるために死んだお母さん。 悲しい、悲しい記憶…

そして、先生とお母さんに見守られながらピアノを弾いた夜… やさしい銀色の月の光。
純粋で、幸せなひとときが確かにそこにあった。
どれだけ辛い記憶だったとしても、戻りたくても戻れない時間、自分が大好きだったものがそこに生きている。 幼い日々の大切な、大切な、甘く美しい思い出。

消えてしまった銀の光を取り戻していく…
銀の頬を、涙が伝う。

瀕死のベルタもまた、光を見つめていた。

問いかけるベルタに、イツァークは詩で返す。

乙女 黒き夜 悲しみを弔い 一人深き帳に沈む
されど 寄り添う月は白銀に満ち 贖いの夜は静かに去り

苦しみ続けてきた二人に、霊たちが見せてくれたやさしい、やさしい、許しの光…

白銀の光の中、ついに贖罪の夜は静かに明けていく…


DTBを外伝含め一通り観終えたのですが、イロイロな感情が自分の中で消化不良になっていたので、どうにもできずに書き散らしてみました。

思うままに書いたので文法や文章の構成がめちゃくちゃになってしまったのですが、直す気が全然しないのでこのままで…笑

いや、DTBってもっとサバサバしてるイメージだったんですけど、(よく言われているように)古典人情モノ、というといささか乱暴ですが、キャラクターたちのエピソードがちゃんとあるせいか、とっても感情移入してしまいますね…
この話、一回目に観た時は別段泣かなかったのですが、(印象的だったので)二回目に観た時にかなり泣いてしまいました…
銀ちゃんの後の展開を思うと、彼女のひたむきさがすごく切なくて…

この数日、ふとした瞬間に彼女の表情や言葉、ピアノの旋律、などをなぜか思い出すことがあって、その度にやり切れないような悲しさを覚え、胸が"キュッ"と痛みます。 この文章を書いている時も、"インのピアノ"をBGMに、銀ちゃんが涙を流すところのシーンが無性に思い出されて、泣いちゃいました…

“自分、こんなに涙脆かったかなぁ?"と思うと同時に、これだけの感受性がまだ残っていることが少し嬉しくもあります。

視聴後、深刻な"PADS"にかかってしまい、予定していた勉強にも身が全く入らなくなってしまいました…(テスト4日後だぞ!!!)
とにかくすごい喪失感で… いろいろ暗いことまで考えたりして、今もかなり塞ぎこんだ気分ですね…
“アニメごときで"、と笑う人もいるかもしれませんけど。

とにかく!
こうしてブログに書き散らしたのだから、今からは切り替えて(いつも通り?)POSITIVEにやってこうと思います! 頑張るぞ!!


<最後に>
彼女の曲"インのピアノ"を。


乙女 白き夜 湖水に臨み 一人淡き帳に沈む
寄り添うは ただ虚ろに凍てた銀色の月
乙女 黒き夜 悲しみを弔い 一人深き帳に沈む
されど 寄り添う月は白銀に満ち あがないの夜は静かに去り

ほんとに綺麗ですよね。

"君の名は"を観た

※ネタバレが含まれます

今更ながら、"君の名は"観てきました。

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期待通り本当に背景絵が綺麗で、しかも、僕の趣味に合うものばかりだったので(東京の絵など)最高でした。 特に、シーンの間に流れる東京のタイムラプス(?)、流れ星の描写が素晴らしかったです。
あの絵をみるためだけでもお金を払う価値はあると思います。

そして、三葉ちゃんが可愛い。方言って、 温かい感じがして良いですよね。

特筆すべきは巫女さんとして躍るシーン。紅をさした三葉ちゃんの唇がとっても艶めかしく、ドキッとなってしまいましたね... 非常に美しいシーンでした。
あと髪型はショートのほうが絶対良いと思います。(威圧)

また、瀧くんが御神体の中で三葉ちゃんと入れ替わっていく時のシーンもとても印象に残っています。
"時の流れ"や"運命"というのでしょうか、見ている最中、三葉のおばあちゃんの言葉が思い出され、それが頭の中で妙に反響していました。

ストーリーに関して述べると、起承転結がしっかりしていたし、途中の音楽パート(?)のおかげもあってテンポも良かったと思います。
あと、"入れ替わっていたはずの女の子の町が隕石によって3年前に消えていた"という事実には、その不気味さ・ショックに、足がすくむような感覚にさせられました。

新海監督の歴代の作品を他に観たことがないにわかなのでなんとも言えないのですが、"君の名は"は、エンターテイメント性 : メッセージ性 が 3 : 1 ぐらいの作品だったのではないでしょうか。
良い意味であっさりしていたと思います。
”見終わった後に、別れのような寂しさがある”、というのが良い作品の一つの特徴であると僕は思っているのですが、"君の名は"にもちゃんとそれがありました。

いつかDVD買ってもう一回観ようと思います。
願わくば、その時にコンプレックスを爆発させてしまわないような人生を今後送れるといいのですが......

"紅の豚"を観た

たった今、金曜ロードショーで"紅の豚"観ました。
いやぁ、一度小学生の時に観た時は"楽しくて面白い映画だなぁ"くらいの感想だったのですが、今、つまり高校生になってから観てみるととてもそんな言葉じゃ収まりません。

まず惹きつけられたのは、舞台、登場人物、セリフなど、すべてに溢れるものすごいお洒落さ。"ファッショナブル"とか、そういうオシャレさではなくて、人生を真摯に味わってきた人が出す本当のお洒落さ、とでも表現しましょうか。
また、登場人物も皆非常に魅力的ですね。(フィオさん素敵すぎです!!)

そして、子供の頃とかなり印象が違ったのは、やはりポルコの生き様というか...特に最後、嫌がるフィオをジーナさんに託し、別れるシーンではとても切なくなりました。

僕はなんというか... "運命に抗いながらも、別れを受け入れて、誰か大切な人の幸せを遠くで祈りながら思い出とともにひたむきに生きていく" というような... 人の一生の切なさを描いたような作品にぐっときてしまいますね。

最後の歌にも揺さぶられてしまいました。これです↓
www.youtube.com

時には昔の話をしようか
通いなれた なじみのあの店
マロニエの並木が窓辺に見えてた

コーヒーを一杯で一日
見えない明日を むやみにさがして
誰もが希望をたくした
揺れていた時代の熱い風にふかれて
体中で瞬間を感じた そうだね

道端で眠ったこともあったね
どこにも行けない みんなで
お金はなくても なんとか生きてた
貧しさが明日を運んだ
小さな下宿屋にいく人もおしかけ
朝まで騒いで眠った
嵐のように毎日が燃えていた
息がきれるまで走った そうだね

一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね
どこにいるのか今ではわからない
友達もいく人かいるけど
あの日のすべてが空しいものだと
それは誰にも言えない
今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走りつづけているよね どこかで

"昔は良かった"なんていうとすぐに"懐古厨""老害"と呼んで来る人たちがいますが、やはりああいう作品を見せられると、あまりに現代は味気ないなぁ、と痛感します。
やはり人間には科学技術だけでは満たせないものがあるようで、それを満たすためには自分の足で立ち自分の頭で考え、日常の何気ないものにまで心、つまり感性を開いて一歩一歩力強く生きていかねばならないなぁ、とそんなことを考えました。

diary_03; 最近はだるい

前にも書きましたが、僕は四季の中で秋が一番好きです。
秋の何が好きなのかというと、それは雲のない真っ青な空と、真っ赤な夕陽、そしてこの風。
本当に気持ちが良いものです。

その心地よさの裏返しでしょうか、近頃は何をやってもどこか気だるいし、すぐにぼんやりとしてしまいます。
いつも長い昼寝の後のような気分。

しかし、よくよく考えてみると今まで(短い人生ではありますが)ずぅーっとこんな感じで生きてきたように思います。 僕は基本のんびりするタイプですが、人生というものについては、刺激的に過ごしていきたいのです。
(月並みな表現だが)呼吸をすることを"生きること"だとは思わないから。

こんな生活に暗雲のような不安を覚えているのは確かで、少しずつでいいから変えていきたい。
今の生活が、良い/悪いという話ではなくて、僕は、こんな生き方じゃ死に切れないような気がします。

すると、ごく自然な流れとして"これから先何をしていくのか"という問題が浮上してくるわけですが、これほど難しい問題もなかなかない。(特に僕のように人生経験の少ない者にとって)

一つあるとするならば、(前々から自分の中では)学問とは一生涯を懸けて付き合っていこう、というようなことを考えています。

今日はもう疲れてしまったので、具体的な話は次回等に引き継ぐとしてこの辺りで一段落しようと思う。

diary_02; "苦C"終わった

今日は三連休前の土曜日。
僕は今修学旅行前のJKのようにウキウキした気分でいる。
でも天気は良くない。どん曇り。(涼しいから良いけど)

さて、僕は最近プログラミングの勉強を始めて、今日この本↓を終えた。

苦しんで覚えるC言語

苦しんで覚えるC言語

この本、なかなかに良いものだったと思う。
難しいとされているポインタのところも楽に理解できたし。
書店で見つけたからその場で買っちゃったんだけど、別にサイトで勉強するのでもよかったかもしれない。

で、なんでC言語やってるかというと。
前にプログラミングのことを勉強しようと思った時にUbuntuを使い始めてなかなか快適に使ってるんだけど、やっぱりせっかくLinuxを触ってるのに、システムを直接ゴニョゴニョできないのは勿体無い。
自分の使ってるOSなんだからその開発にも貢献していきたいし、プログラミングをする人間にとって、低レベルを扱える、っていうのは大切なスキルだと思った。
やる/やらないではなく、できる/できないという問題。
というわけでこの本で基礎の基礎を勉強してたというわけだ。

というかC言語でゲームとか作るのって結構マゾプレイらしい。
今はプログラミング楽しめているから良いんだが、この先カーネルコードを読めるレベルまでモチベーション維持できるんだろうか。さすがにターミナルで遊び続けるのは大変そう。

まぁ、コツコツ頑張っていこうと思う。(フラグ)

diary_01;そんな一瞬を知っていますか

一番最初の記事でコツコツ書いていく宣言をしておいて、いきなり放置していましたが…
まぁ、なんとなく書いてみようと思ったのでなんとなく書いてみます。

最近思ったこと

これを読む人(いないけど)にはなにか好きな季節があるでしょうか。
僕はといえば、 冬が終わる頃になると"春が一番良い"、夏が終わる頃になると"秋が一番良い"とのたまっています。

ネット上でよく見かけるのは"夏に特別な思い入れのある人"でしょうか。
抜けるような青空、湧き上がる白雲、蚊取り線香の匂い…
純朴な少年の頃の思い出は、すっかりスネてしまったネット民たちでも揺さぶられてしまうもの。
いつの間にか失ってしまったものの面影を、夏のどこかに見つけてしまうのだと思います。

誰しも、心のどこかに幼い頃の原風景を抱えています。
それは故郷の河原であったり、小学校の校庭であったり、ベランダから見える夕陽に照らされる街並みであったり…
それらは、他人からするとどうでもいいものですが、本人にとってはかけがえのない宝物。
脳裏に焼き付いたその美しい一瞬は、その人の中で永遠に輝き続けます。

そしてこの秋、僕にとってそんな"原風景"になるかもしれないような素晴らしい瞬間がたくさんありました。

2週間ほど前から?
うだるような暑さは和らぎ、朝/夕方には乾いた心地良い風が窓から吹き込むようになってきました。
ベッドの上でそういう風に吹かれて良い気持ちになっている時などに、ふと、ひときわ冷たい、冬の風が窓から入ってくる。
そんなとき、(すこし切ない感じはするけれど)僕は深い深い安らぎを感じるのです。

夕陽を見つめている時、さざなみの音に聞き入っている時、雲の渓谷が陽光に輝いているのを見る時。
川の流れを見つめている時、ざわめく樹々の音に聞き入っている時、昇る朝日とともに、まだ人が眠っている街並みを一人歩いている時。

ほんの一瞬だけ、何もかもから解放されてこの世界の持つ恐ろしく深遠なものに"どきっ"とすることがあります。
TVである人が言っていた表現がしっくりときました。 それは、"本当の世界とつながる"という感覚です。

しかし、時おり、そのような時になにか"虚無感"のようなものを感じてしまうことがあります(厨二っぽいですね…)。
この感情は何なのだろう。 なぜこんな気持ちになるのだろう。この世界は素晴らしいと思っているはずなのに。 説明するのは難しいけれど、それは言うならば、あまりに次元の違うものの片鱗を感じてしまうからだと思います。
つまり、人の一生の儚さ、すべてを感じることは不可能で、なにか大切なものを諦めなくてはいけない。そういう直感のようなモノ?

上手く言葉にできないです。

まぁ、こういうことはうまく説明するものでもないし、頭で理解するものでもない。そんな気がしています。